【特別授業】衣服標本家・長谷川彰良さんをお迎えして。マリー・アントワネットやナポレオンが生きた時代の衣服を介して「歴史」と「芸術」を追体験!

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「古い服の超オタク、ガチ勢です。推しを持ってきたので、愛でたいです。テーブルには、300年以上前の衣服、イギリスやアメリカの美術館に展示されているような衣服や、数百万円もする貴重な洋服もあります。色んな発見があるんじゃないかなと思っています」と話す、衣服標本家・長谷川彰良さん。ガラスのない美術館「半・分解展」を主宰しています。

今回は、高等部、スタイリスト、ファッションデザイン、ファッションプロデュースなど専攻合同での「特別授業」をレポートします!

長谷川講師「僕は、アパレルメーカーに『モデリスト』という技術職で入社しました。量産ではなく、古い西洋の衣服の『構造美』や『着心地』を研究するのが好きで、どうしてもやりたかったので独立。好きを評価してくれたのは、アート業界でした。好きなものを評価してくれる人は絶対にいるので、SNSなどで自分の情熱を伝えていってください!」とメッセージ。

衣服を触るときの注意点は、ボタンの開け閉めは禁止。

年代物の衣服は非常にデリケートなため、点ではなく「面」で触れることを意識します。

10分ほど、生地を間近で見たりし、テーブルごとに意見を交換します。

長谷川講師「触れられるのは、こうしたワークショップしかないと思います!」

各テーブルの解説をダイジェストでお届け。

  • 18世紀:「ジュストコール」】

長谷川講師「男性用の盛装用上着を『ジュストコール』、フランス発になると「アビ・ア・ラ・フランセーズ」と呼びます。18世紀当時のメンズは、洋梨シルエットです。胸や肩は華奢に、腰やお尻周りにボリュームを出します。この時代の男らしさは、フリル、リボン、レースです。現代では、マネキンが着用した状態がいちばん美しいですが、当時は動いたときがいちばん美しくなるように仕立てられています!」

また、ボタンホールが64個ついていますが、これらはすべて装飾で、自身の富や権威を象徴するデザイン。

  • 19世紀;燕尾服(えんびふく)、テイルコート】

長谷川講師「先ほどの貴族の美しさとは対極に、フランス革命を機に、ダビデ像のような逆三角形のフォルムが出現します。とはいえ、構造は未熟で、胸にダーツが入っていません。『テイルコート』の中には綿と麻が入っており、パンプアップ(ボリュームを出して)います」

長谷川講師が当時の構造を模して制作した「テイルコート」。メンバーが試着させていただき、着心地を確認します。

  • 18世紀:「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」】

長谷川講師「マリー・アントワネットと同い年くらいです。この時代、まだファッションは存在せず、ドレスは『アート』として着られています。設計は着物と同じで、解けば1枚の布です。紐を通してぐっとしぼれる設計で、体にフィットさせる工夫が施されています。

当時、ドレスはいくらすると思いますか?答えは、約3000万円!とても高価なのでお直し&リメイクは当たり前です。盛装用として着用されていた女性服を『ローブ・ア・ラ・フランセーズ』と呼び、『ローブ・ア・ラ・フランセーズ』をほどき再利用したドレスも登場します。しかし!アートを着る時代が壊れるときがやってきます!」

  • 19世紀:「クリノリン・ドレス」】

長谷川講師「いよいよファッションが登場します。こちらのアイテムで、気づいたことはありますか?」

メンバー「タグにLONDONって書いてありました」

長谷川講師「そうです!作り手がタグをつけ、私が作りましたと主張しはじめます。第二次産業革命により、ミシンが発明されます!すると、機械の導入によって失業を恐れたテイラーが機械破壊運動『ラッダイト運動』を起こし、ミシン工場を襲撃しています」

赤いチェック柄のドレスは、1850年代頃の「クリノリン・ドレス」。

20年後には、お尻が膨らんだ「バッスル・ドレス」が登場。日本人が初めて着用したドレスと言われています。貴族の時代から市民の時代に移行しはじめ、布を再利用せずどんどん使い捨てるように。

  • 19世紀:サイドサドルスカート(乗馬のためのスカート)】

長谷川講師「この服はなんだと思いました?正解は、スカートです!『サイドサドルスカート』と呼ばれる乗馬のためのスカートで、これがないと社交界デビューができません。結婚ができません。そういう世界線です。この時代は、女性の身分はとても低く制約もえげつないです。脚を開いたり、何かをまたいだりする行為はタブーとされたので、サイドサドルスカートをまとい、横向きで馬に乗り社交を楽しんでいました」

  • 19世紀:1895年頃のインフォーマル「室内着」】

長谷川講師「社交界にはドレスコードがありますが、ドレッシングガウンやティーガウンなどの室内着は自由です。ここで、ついに日本が発見されます。日本が鎖国をとき、ヨーロッパには大日本ブームが到来。室内着として、着物のゆったり感などが取り入れられています。この時代は、通信販売も行われています。アメリカの富豪が、パリに電報で注文したりしているんですよ。

こうした室内着は、十中八九、神戸や横浜など港町の職人が縫っています。富岡製糸場に代表されるように、日本のシルクは重宝されました。西洋のドレスを支えていたのは日本の蚕なんです!」

  • 19世紀:「アンダードレス」】

長谷川講師「女性の下着です。最高級品と最低品を持ってきました。コルセット、パニエも下着です。ぜひ見てほしいのが、『アンダードレス』です。「アンダードレス」はコルセットの上に着用します。ドレスの造形をより美しく見せることを目的に作られていて、皮脂や汗からドレスを守る役割を担います。美術館に行っても下着はほぼないです。なぜ希少価値が高いのでしょうか?19世紀、女性の下着について語るのはタブーであり価値判断が難しかったこと、また下着は紙の原料として下着回収業者に売れたからなんです。また、下着は唯一洗濯ができます。当時、水の綺麗な田舎に送り、石灰などで漂白する洗濯を「カントリーウォッシュ」と呼んでいました。めちゃくちゃ維持費がかかるので、下着の白さ=富の象徴です!」

他に、1820年代のリネン地・「エンパイア下着」、ゴワゴワした麻素材は農民たちが着ていた下着です。素材の「質感」の差に、驚かされます。

他に、ベルサイユ宮殿で踊る紳士の最高峰アイテムが、実は「ベスト」だったことを紹介。金・銀・シルクで織られた贅を尽くした「ベスト」をコートからのぞかせるのがステータスでした。

1時間の講義中、メンバーは、みんな真剣に聞き入りメモを取っていました。

長谷川講師「衣服の構造や造形の研究をしたいと思っていましたが、誰も評価してくれない時期がありました。Blogで発信し、やがてお仕事に繋がりました。皆さんも自分の好きなことなら続けられるでしょう?技術があるとお金は稼げるけれど、技術淘汰は起こります。なので、情熱が大切です!ぜひ、好きを貫いて。多くの人と出会い、スクールだけではない評価軸を持ってください。好きなことを本気でやってください!」と締めくくりました。

 

PROFILE
衣服標本家。「半・分解展」を主宰。「半・分解展」では「100年前の感動を100年後に伝える」ことを表現し、衣服を介して歴史と芸術を追体験し、美の根源を探究する場を生み出している。古い西洋の衣服を分解して「標本」にし、衣服の「構造美」や「着心地」を研究。型紙を起こして現代に数百年前の衣服の美しさを具現化することで、服飾の美を触って体験できるものにしている。20251月『あたらしい近代服飾史の教科書 衣服の標本で見る、着るものの歴史と文化』(翔泳社)を刊行。
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